最終学歴中卒!母子家庭育ち!
タイトルにも書いたように私の最終学歴は中卒です。
全体の2%以下の人が最終学歴中卒の割合だそうで、全体からみれば
圧倒的に少数派です。
そんな2%に入り高校に進学しなかったののは理由があります。
と言いたいですが、特に理由はなく
あえて理由を思いおこしてみると、
① 成績が悪かった、家庭学習なんて生涯で2~3回位しかした記憶が
ありません。
② 中学校の先生と進路相談の時に『おまえみたいなどうにもならない
奴が、15歳で社会に出たってろくに勤まる訳がない』と だから
進学だと言われたので、反骨心?から社会に出ても大丈夫だと証明
したい。と言う生意気な気持ちがあった。
③母子家庭だったこともあり金銭的に、母親に負担を掛けたくなかった。
4学年上に兄がいるのですが、兄は普通に高校に進学していましたが
母親は、昼は会社員、夜はスナックでバイトをしていて、高校の入学費
や授業料を支払いに苦労しているなぁと感じていた。
とこんな感じで特に大きな理由なんてありません。
もう少しさかのぼってみると
出生地は札幌で、私が生まれた時点で両親の夫婦仲は悪くて父親は
ほとんど家には帰ってこなくなっていたそうです。
幼少の頃の記憶に残っているのは、夜の21時位に母親とたまに来る
優しい男の人が、お酒を飲みながらお話しいたり、時には喧嘩を
している姿を覚えていますが、自分としてはその優しい男の人が
父親という認識はなかったように思います。
旭川市へ
私が2歳の時に両親が離婚して、母親の実家が比布町にあった
こともあり隣町の旭川市に引越して、母、兄、私の3人生活
が始まりました。
1歳の頃や、そして引越し当日の記憶は残っているのですが
旭川での生活が始まった約1年間の記憶が何故かなくなったいます。
当初は生活保護を受けていたようですが、私が保育園に入園と同時に
母親は仕事をすることに、昼間はパートで夜がスナックで週3回ほど
アルバイトに出ていました。
いま考えると信じられないですが、小学2年生の兄と3歳の私だけで
夜8時位から夜中まで2人で留守番していたんです。
私は幼かったので、母がバイトに出る頃には寝てしまっていることも
多くさほど寂しいとは思いませんでしたが、小学生の兄はきっと凄く
不安だったと思います。
今では3人に1人が離婚し、離婚率が30%以上を推移していますが
1980年当時の離婚率は今の半分以下の15%以下でした。
保育園の全体の園児が50人だとすると、片親世帯の子供の割合は
1人、多くて2人位という割合でした。
私の被害妄想かもしれませんが、差別とまでは言いませんが
保育園の先生は他の子供達と差を付けられていたように感じました。
私に優しくしてくれた先生が1人だけいましたが、保育園2年目に
その先生が保育園を離れてしまい、私的には
オールアウェイ状態になり、保育園に行くのが本当に嫌になり
朝に母に連れられ保育園に行くが玄関先で脱走して勝手に家に戻ったり
今では考えられないが、保育園を脱走するようになりました。
そんな事を繰り返した結果、保育園中退になりました。